現代音楽におけるアレンジ ①19世紀の編曲観
①
このようなアレンジを聞いていると、オリジナルをもとに作られる「編曲(=アレンジ)」にはオリジナル以下の価値しかない、などとは言えず、むしろ独立した価値を持つ創作物を生みだす大きな可能性を秘めたものだという考えが強くなります。
佐々木健一は「制作」と「創造」の違いを引き合いに出して、創造とは「当初の設計図と定式化した処方箋に従うだけでなく、そのような見込みを超える何かを実現すること」と述べています
②
編曲というとオリジナル作品よりも一段低い存在とみなされるのが普通である。オリジナリティ ーやオーセンティシティーを標榜する 19 世紀的な美学からすれば、それも当然のことであろう。 私たちは音楽史において必ずしもそうではない時代の方が長かったこと、「編曲」という概念設定 そのものが近代的な意識に由来することを知っている。しかしそうではあっても、原曲と編曲の差 異化が進んだ 19 世紀の音楽については、一般に研究の主たる目的はやはり原曲に向かわざるを得 ない。
かつては傑作 Meisterwerk は閉じられた有機的な統一体という前提で分析や解釈が行われたが、 社会や文化のコンテクストにおける音楽(作品)とその変容という問題意識も当たり前になりつつ ある。作り手側の意図という大前提も、時代とともに読み手とともに変化する作品という、受容論 的、テクスト論的な問題意識からすれば、もはや絶対視されなくなってきている。(注 4)作品のテク スト的流動性、その意味的多義性を視野に入れることは、編曲という問題児の再評価にも繋がるは ずである。
③
贝多芬编曲观:
以下土田英三郎の「いっそうの収益と普及のため」という文章から引用する
贝多芬
...編曲ものにつきましては、貴方がこれを拒否されたのは心からうれしく思います。ピア ノ曲までヴァイオリン───両者は結局のところ互いに全く正反対の楽器です───に移植し ようという、昨今の人々の不自然な編曲熱は、冷めてほしいものです。きっぱりと申し上げま すが、モーツァルトだけが自身の曲をピアノから他の楽器に移し変えることができるのです。 そしてハイドンも。───この偉大な二人と私を一緒にするつもりはありませんが、私のピア ノ・ソナタについても同じことを主張します。全ての箇所をすっかり取り去ったり書き変えね ばならないだけでなく、さらに書き加えなければならないからです。ここに厄介なつまずきの 石があります。それを克服するためには、自身大家でなければならず、あるいは少なくとも大 家と同じくらい練達で着想に富んでいなければなりません。───私は1曲だけ自作のソナタ [作品 14-1]をヴァイオリン[弦楽]四重奏に直しました。そのように懇請されたからです。 他人がそうたやすく私のまねをできないことはよくわかっています。」(1802 年7月 13 日、ブラ イトコプフ・ウント・ヘルテル宛、『書簡全集』97
作曲者の方から(弟カスパル・カールを通じて)業者に編 曲の出版を提案し(6月1日、『書簡全集』90)、ブライトコプフ側が謝絶した(6月8日、同 91)、 それに対する返事なのである。
彼はブライトコプフのよ うな大出版社からの出版を切望していた。一般に出版社への書簡から窺えるのは、初期の接触で彼 はかなり低姿勢を装い、すぐに提供できる作品もまだ計画中の作品も、とにかく多めに列挙して、 いろいろな可能性を探るという傾向である。 ーー
→お世辞として、「俺の提案を拒否したのは賢明な判断だ!」って言ってる。ベートーベンは出版社への初期の時の接触の姿勢が低いことが窺える。
しかし少なくとも、編曲である旨をタイトル・ページに告知するよう出版業者に要請し、それ によって作曲者の名誉が汚されず、世間が欺かれないようにすることは、作曲者に与えられた 権利でありましょう。───以上、今後とも同様のことが起きないようにするために。─── 同時に、私の作曲になる新しいオリジナルの五重奏曲 ハ長調 作品 29 がまもなくブライトコプ フ・ウント・ヘルテルから出版されることをお知らせします。」(『ヴィーン新聞』1802 年 10 月 30日号;『総合音楽新聞』1802年11月3日号、「情報欄 Intelligenz-Blatt」11月号、No.IV、 15)
モーツァルトのソナタを四重奏に編曲するのはあなたの面目になるでしょうし、きっと採算 も取れることでしょう。私自身そのような機会があれば喜んでもっと協力したかったところで す。しかし私はだらしのない人間で、どんなに努めても全て忘れてしまいます。ですが、それ についてあちこちで話したところ、どこでも大賛成の感触を得ました。───もし御同輩が七 重奏曲をそのまま出版されるばかりでなく、フルートのために例えば四重奏としても編曲され るならば、とても結構なのですが。そうすればフルート愛好家たち───実は彼らからもう請 われているのですが───にとって有用でしょうし、彼らは虫が群がるように殺到して味わう ことでしょう」(1801 年4月 22 日、『書簡全集』60)
ベートーヴェンは他人の編曲でも聴いたり弾いたりすることを拒まなかった。1803 年4月 16 日 には、シュパンツィクの所で「クラインハルス[クラインハインツ?]が弦楽四重奏に編曲した彼 の「ピアノ・ソナタ」のリハーサルに立ち会っている。
・チェルニーによれば、1816 年頃に始まったチェルニー邸での日曜コンサートにはベートー ヴェンが毎回のように参加し、彼の交響曲もたびたび2台ピアノで演奏されたという。
。こうして見てくると、編曲に関してはむしろベートーヴェンの側から積極的に提案していること がわかる。実際、書簡をそれぞれのコンテクストにそって読んでゆくと、1800 年頃から晩年に至 るまで、編曲肯定派としてのベートーヴェンが見えてくる。
・①時間的余裕があれば自分の編曲が一番である。しかし、他人による編曲はたとえ気が進まなくとも、そのこと自体に反対してい たわけでもない。②編曲者の能力と、どのように編曲したか、それを自分がどれだけコントロールで きるかこそが問題だった。
④
19 世紀の編曲は楽譜出版上の戦略と密接に関わっている。一つの作品を様々な編成で販売する ことは、作品そのものの普及に役立つばかりでなく、作曲者と出版業者の双方にとって、新しい販 路の開拓、比較的手軽な手段による商品の増加、ひいては増収の可能性を意味した。
また、19 世紀の前半は、そもそも音楽作品 を一つの完結した形態として捉え、楽譜を侵すべからざる神聖なテクストと考える近代的な意識が まだ希薄な時代である。一つの作品をいろいろな編成で楽しむことが当然のこととして考えられて もいた。そういうわけで、編曲ものが音楽マーケットの重要な部分を形成していたことは少しも不 思議ではなかった。
これほどの編曲合戦は楽譜出版の時代の現象である。既存の素材を使うこと自体は、音楽創造の一つの根幹として中世以来の長い歴史があるが、それはまだ独創性が創作行為の第一の要件として求められておらず、作曲と編曲の区別そのものが曖昧だった時 代の話である。バロック時代にも、 例えばバッハは多数の編曲やパロディーを行ったが、当時は出版のためというよりも、創作上の要請のほか、自分や周辺の人々に対して音楽を次々と供給することこそが目的だった。
古典派の時代 になっても、モーツァルトの世代にはまだこれほどの商戦はなかった。そもそもウィーンで本格的 な楽譜出版がアルタリア社によって始まったのが 1778 年という遅さだったこともあるが、モーツ ァルトの場合、生前の出版作品からしてけっして多いとは言えない。19 世紀初頭まで生きたハイ ドンは楽譜出版をビジネスとして捉え、そ のシステムを積極的に利用した最初の大作曲家の一人だ が、ベートーヴェンはその路線をさらに押し進めた。
一般的に「編曲」と和訳されるドイツ語の単語「ベアルバイトゥングBearbeitung」は、転用や改作、トランスクリプション、歌詞のみを変えるコントラファクトゥムなど、非常に様々な意味があります。
⑤
作曲家は、自作品の編曲をどのように捉えていたのでしょう。編曲の出版は、この疑問を考えるために参考になる手がかりを与えてくれます。それは、編曲版の「作品番号」です。ある編曲が出版されるとき、オリジナルとは別の、編曲独自の作品番号が付けられていることがあります 。先ほど触れたハイドンの《十字架上のキリストの七つの言葉》の編曲は、ピアノ編曲が作品49と番号付けされている一方、弦楽四重奏ヴァージョンは作品51として出版されています。この事実はまず音楽社会において、編曲も一般的に独立した「作品」として通っていたことを推測させます。
さらに作曲家自身が編曲に新しい独自の作品番号を与えるのを明らかに認めていたと考えられる証拠もあります。ベートーヴェンの《七重奏曲》作品20のピアノ三重奏編曲がまさにそれです。このピアノ三重奏曲はオリジナルとは別の献呈先、つまりベートーヴェンの主治医のシュミット博士に捧げられています。出版譜は独自の作品番号作品38と新しい献辞を携えて世に出るのです。
https://research.piano.or.jp/series/arange/2017/09/005_1.html
⑥編曲出版が特に多いのは《七重奏曲》Op. 20、《セレナーデ》Op. 8。
>ディヴェルティメントなどといった軽いジャンル、特定の性格を持つ曲が編曲されやすい。一部抜粋の場合も多い。
⑥編曲の需要が高い原因
出版社にとって楽譜を出版する最大の目的の一つは、売上による利益です。ですから当然、「売れる」楽譜を出版したいと思うはずです。オリジナル作品の出版の場合、その作品が楽譜市場で売れるかどうかは、実際に出版してみないと分かりません。ある程度は作曲家の人気や知名度から予測がつくでしょう。しかしそうは言っても、新作のオリジナル作品の場合は、どの程度、音楽受容層に受け入れられるのか、その都度「賭け」になるはずです。
それに対して編曲の出版はどうでしょうか。こちらは大概、オリジナル作品は先に出版・演奏されています。つまり編曲はオリジナル作品への反響がある程度わかっている時点で出版されることも多いはずです。
>リスク負ってまでオリジナル作品を出すより、人気な作品を売り出した方が「不確実性」を吸収できるから。
当時はレコーディング・メディアのない時代です。ある音楽作品をもう一度聞きたいと思ったら、演奏会で聴くか、自分達で演奏するしかありません。小編成の作品でも、オリジナルの編成の演奏家を集めるのが難しい。
こうした時代背景と、編曲から得られる利潤を考えますと、出版社は人気のある作品を積極的に編曲版で出版しようと思うのが自然です。
>小編成の音楽の需要が高いことによって、大編成の人気曲の小編成への需要が高い。
(売れる曲は)ある種のトピック性のあるもの、特定の性格を持つものに編曲版が目立ちました。これらの音楽を一括りにしてしまえば、表面的には解りやすい音楽と言って差し支えないでしょう。
出典:https://research.piano.or.jp/series/arange/2019/04/014.html
19世紀前半の編曲観:
・楽譜出版上の戦略と関わっている。作品の普及と収益と拡大のために編曲が盛んになった。
・市民階級の人たちは作品を色んなジャンルで楽しみ、「オリジナル」という近代的な意識が薄かった。
・ただベートーベンが新聞記事における抗議文や編曲者が明記されるようになった、というところから、「オリジナル」と「編曲」の区別はついていた。
・ベートーベンは編曲を第二の作曲、立派な創作物として捉えている。実際、編曲作品には新たな作品番号を与えている。(⑤を参照) よって、編曲も自分の能力を示す芸術的産物であった。
編曲されやすい曲:
・出版された後に人気を獲得した作品
・軽いジャンル、あるいは特定の性格の持った分かりやすい作品
・(家庭での演奏など)パブリック・ニーズの大きい作品
編曲に多い編成:
・ピアノ、ピアノと任意の独奏楽器のための曲が多い
・ピアノに編曲された曲は多いが、ピアノ曲を編曲した曲は少ない。
明日見る内容:
https://research.piano.or.jp/series/arange/2019/11/15.html
https://research.piano.or.jp/series/arange/2018/08/013.html
https://research.piano.or.jp/series/arange/2017/02/001_1.html
Op.1 事務
3.22
邵跃哲:新作(10min)
Piano
Violin
Cello
Percussion(
宋词:candy(10min)
Alto Saxophone 1
Trombone 1
Marimba 1
Piano 1
DrumSet 1
佐藤:the clumsy toys(10min)
Flute/piccolo
Trumpet in C
Percussion 1 (Xylophone/Glockenspiel/Snare Drum/Wind Chime/Vibraslap/tam.tam/3 large pedal timapni(G,A,E))
Piano
Violin×2
Cello
齐艺坤(未定)
kodama:新作(10min)
12.6 EXCESと文化秩序 J-POPの型とシミュラークル 創作について
一、
浅田彰読書メモ
①
生命の場合:エントロピーの大海の只中のネゲントロピーの小島
ピュシス(自然・生命の秩序)→サンス(方向)を持つ(あるシグナルに一定の反応をする)
↑
EXCES(ズレ)
↓
人間の場合:カオス→サンス(方向)を持たない→無秩序
ピュシスの代わりに象徴秩序(文化の秩序)→恣意性(ソシュールの記号学)
象徴秩序→カオスを隠蔽(構造主義の弊害)
構造主義の問題点:スタティックな、共時的なものとしてしか分析できない(ダイナミズムを欠けている)
象徴秩序← → カオス
↓抑圧
サンボリック← →セミオティック(欲動)(例:祝祭)
Q:サンボリックはセミオティックを必要とするのか?(秩序と混沌の弁証法)
A:バタイユの理論:秩序とカオスの間で反復運動があるような解釈
A:ラカンの理論:想像界→自我が分裂→鏡像段階→象徴秩序(=大文字の他者=象徴界)
コード化:【原始社会】贈与の円環(一般交換→レヴィ=ストロース)
超コード化:【専制国家】無限の負債、王の出現(埋めようのない負債(欠如)→ラカンの理論)
脱コード化:スタティックな構造を避け、欲望を「資本」を通じて方向づける(それぞれの利益(私欲)を追求→But,秩序が散乱せずに済む)
小さな物語が多元的。複数的な乱立。
大きな物語の失墜。
二、
工業製品あるいはモデルとしてのポップス
シミュラークルをおさらいすると:
模造:階級の固定が緩やかになり、市民が貴族を模倣し始める
→本物と偽物の区別が生まれる(オリジナルとコピーの対立構造)
生産:工業革命以降、大量生産が可能になり、「オリジナル」の概念は意味を失い、その代わりに生産の最初の核としての「モデル」が誕生する。
オリジナルとの類似・アナロジーによって規定されるのではなく、単純に機能や仕組みによって規定される。
第一の領域の記号「模造のシミュラークル」は、その記号の作成者がオリジナルに至らんとする目的を明確に有していた。意味作用の主は他ならぬ私たち人間であり、人間の意思が模造の記号を作っていた。
ところが、第二の領域の記号「生産のシミュラークル」に入ると事情は一変した。人間は意味作用の根源としての地位を、機械化されたプロセスに奪われてしまったのである。
機械化されたプロセスは、無限に同じ商品=シミュラークルとなった商品を無限にアウトプットし続ける。そのプロセスの中で、かつて生産主体だった人間もまた、プロセスの歯車としてシミュラークルになる。
三、
過去
日本生まれ、中国育ち。小学生の時は漫画家になる夢を抱き、日本に旅行する時には小学館と集英社を訪れた。中学校に進学すると、クラシック音楽に没頭するようになる。当時所属していた音楽のコミュニティの排他的な雰囲気をきっかけに、正統であるとそうでないものの二項対立に関心を持ち始める。独学で作曲を学び、高校は日本のピアノ科に進み、
大学は作曲科に進んだ。
現在
「正統」であることにうんざりして、アカデミックな場にいながらも、その引力から逃走し続けている感覚が近作には多い。これは、意図せず作品にダイナミズムを与えているようにも感じた。
とりわけ大衆文化に氾濫する様々な「型」や「常套句」のナイーブな流用を出発点とする作品が多い。例えば、自作「ゆめうつつ」と「たったふたりきり」のような、現代音楽の文脈で「流行」のコード進行をそのまま音高素材として採用した作品がそうである。
未来
とりあえず、今の創作を持続させることです。
12.1日記
・チラシ作成(進み度:クセナキス60%, アダメク80%, スコダニッビオ0%)
クセナキスの晩年の作品群(アルツハイマー罹患後の90年以降)についての魅力を言語化するのに苦労、今だに納得できる表現を見つかってない。 「神聖でスタティックな、光に包まれる稚い律動、のような、、」といった具合で短文の連なりのような文章しか思いつかない。もっと本を読まなくちゃ。
・そして12月4日、ピアノバトルの構成について考えていた。とりあえずお題が「シリアス」「カジュアル」のように分類できると気づき、それをうまく並び変えることで気持ちい構成にできるんじゃないかな。夜に考えることにしよう
。
・明日の「エクサイティングムード」の本番に備えてサンプラーに素材を入れる作業も終わった!グリッチィな音を大量に入れた。調性的なものからマルチトラックにギリッチーな音色に移行すると、記憶が徐々に離れていくような効果ができると発見、使っていくぞ!
ただケーブルの長さ足りるのかな〜ってのが心配。一応3メートルは届くの、会場の広さから見ても足りると踏んでいる。
規格化されたポップス、練習道具としてのCD メモ
「J-POP文化論」第二章 工業製品としてのJ-POP
マキタスポーツ「作詞作曲モノマネ」→「ヒット曲の法則」(「コード進行」「歌詞」「楽曲構成」「オリジナリティー」)
J-Popにおける初めての「サビ」の使用筒美京平・尾崎紀世彦:「また逢う日まで」
アドルノ:
①音楽産業によって作られたポピュラー音楽 を批判した
②ポピュラー音楽の特徴:1.規格化 2.似非個性化
規格化:
似非個性化:自由な選択が与えられるという錯覚を見せ、世に出す前に全てが万人受けになるよう調整されている。
カラオケと90年代ポップス
70年代日本で発明(サラリーマン、酒場の余興として)→80年代
カラオケボックス→90年代技術革新に伴いブーム→J-Popの工業製品化
①タイアップソングを作成→②カラオケで歌いたい→③練習用としてCDを購入→④CDの売り上げが伸びる→最初に戻る
*CDはこの時代、カラオケの練習道具という側面があるのは興味深い。当時、CDシングルのカップリング(B面)としてカラオケ音源が収録されていることも少なくない。